化学だいすきクラブ

暮らしの化学 器を守る膜をつくるのは,化学反応だった!? 美しい光沢のある天然塗料 漆の化学

漆塗りは,日本では縄文時代から続いてきた文化です。

その特徴である美しい光沢のある膜ができるのには,化学反応が関わっていることが知られています。

伝統文化の中で,人類が長年利用してきた漆に関わる“化学反応”とは一体どのようなものなのでしょうか。

この記事を書いた人: 池田亜希子
サイテック・コミュニケーションズ

ウルシの木の樹液

漆塗りの「重箱」は一見プラスチックのようでもありますが,実際には,木製の箱に天然の塗料と言われている“漆”が塗られています(写真1)。塗料とは,それを塗ったものを,守って長持ちさせたり綺麗に見せたりといった機能を加える役割をします。漆の場合は,塗った木製の器が水を通すことなく丈夫で火にも強くなります。

天然の塗料である漆は,ウルシの木から採った樹液です(写真2)。樹液は傷つけられた木がその傷を治そうと出すもので,植えてから10~15年ほど経ったウルシの木の幹に傷をつけて採取します。1回の傷で採れる量はたいへん少ないので,木が弱らないように日にちをあけて,何度も傷をつけます。それでも1本の木から200 mLほどしか採ることができません。最後にその木は伐採されますが,ウルシの根は生きているので,翌年新たな芽が出ます。それを育てれば,また樹液を採ることができます。

やっと集めた樹液ですが,そのまま使えるわけではありません。まず,木くずなどのゴミを取り除くために濾過します(写真2)。さらに,撹拌して成分を均一にする「なやし」,熱を加えて余計な水分を飛ばす「くろめ」といった作業を行って,ようやく上塗りに使える精製漆になります。これだけ手間がかかるので,漆は高級塗料なのです。

漆の乾燥では,化学反応が起こっている

こうしてつくられた精製漆を使った「塗り」の作業は,どのように行われるのでしょうか。日本全国にはさまざまな漆塗りがありますが,石川県の能登半島の北,輪島に古くから伝わる輪島塗を例に見てみましょう。写真3は,輪島塗会館にある「塗りの工程」の展示です。輪島塗は,漆塗りの中でも特に漆を塗っては乾燥させてみがく,塗っては乾燥させて研く・・・という一連の工程の繰り返しが多いことで知られています。展示では,その124ともいわれている工程を一つひとつ追うことができます。この重ね塗りの結果,輪島塗は高価ですが,とても強くて長持ちする上に,仮に傷がついても修理ができるので,かつては日常使いされていました。今でも,「分厚くぽってりとした漆の膜の感触が好きだ」と好んで使う人もいるそうです。

漆の膜を厚塗りできたら工程を減らせそうですが,漆を塗る作業はとても繊細でそう簡単には変えることはできません。そのため“伝統の技”として受け継がれてきました。例えば,漆を塗った後の“乾燥”の作業は,温度20 ℃,湿度70%の環境下で行われます。そのための専用の部屋があるほどです。もし早く乾かそうとしてこれよりも温度を上げたり,塗りの回数を減らそうと76 ㎛(1 ㎛は1000分の1 ㎜)よりも厚塗りしたりすると,漆の膜にシワが寄ってしまいます。こうしたことが起こるのは,漆塗りの“乾燥”という工程で起こっている現象が,私たちが普通,“乾燥”といった時に起こっている「水分などの液体が蒸発する」現象とは違うからです。漆塗りの場合は酵素による“化学反応”が起こっているのです。

漆液は,油分のウルシオールとゴム質,窒素を含む化合物,水分に分けられます(写真4)。このうち漆特有の光沢のある膜をつくるのはウルシオールで,1912年に眞島利行博士によって構造が決められました。漆液を器に塗ると,ウルシオールはゴム質に含まれているラッカーゼという酵素と,酸素の働きによって化学反応を起こして固まり膜をつくります。酵素とは,生き物がもっている“化学反応を速やかに進める働きをする物質”で,それがうまく働くには温度や湿度といった環境条件がとても重要です。湿度を上げると酵素の働きはよくなるので”乾燥”を早められそうですが,酵素反応が早すぎると均一に進まなくてシワが寄ってしまいます。このように乾燥条件も簡単には変更できないのです。

日本の漆が危ない

漆塗りは,漆液の性質を巧妙に利用することで発展してきた優れた文化です。日本のほか中国や韓国,ベトナム,タイ,ミャンマーといったウルシの木が生育するアジア地域に広がっています。ただし木の種類が違って,採れる漆の性質も違うので,日本の漆文化は日本独自といってもいいかもしれません。にもかかわらず,日本でウルシの木がほとんど育てられなくなったため,日本で使われている漆液の98%が中国などからの輸入品になってしまいました。

最近,北海道の垣ノ島遺跡で見つかった漆塗りの装飾品が今から約9000年前の縄文時代のものだとわかり,中国で最古とされるものよりも2000年も古かったことから,日本の漆文化がどのように始まったのか,歴史家たちが注目しています。歴史を考えても漆塗りの文化を守るのは,日本人の責任のように感じられます。どうしたら守っていけるのか・・・,多くの日本人が頑張っていますが,その方法はまだ見つかっていません。

写真 1
写真 1: さまざまな漆塗り,左から重箱,椀,箸,盆(photo ac)
写真 2
写真 2: 上塗り用の精製漆ができるまで。ウルシの木の樹液採取(左上),樹液からゴミを取り除くための大きな濾過装置(右上),ヒーターの熱で上から温めながら水分を飛ばす「くろめ」用の装置(左下),出来上がった精製漆(右下)。写真は,輪島の精漆工場にて筆者撮影。
写真 3
写真 3: 塗りの工程の展示。漆を塗る前の椀から始まって,完成品までずらりと並ぶ。
写真 4
写真 4: 漆液を構成する成分(左)とゴム質から分けられたラッカーゼ(写真提供:宮腰哲雄明治大学名誉教授)。生漆は,ウルシオール,含窒素物,ゴム質から成る。ラッカーゼが青いのは銅をもっているから。

化学だいすきクラブニュースレター第41号(2019年4月1日発行)より編集/転載

先頭に戻る