化学だいすきクラブ

活躍する化学 薬と毒は似ている?—抗がん剤のはなし

活躍する化学 薬と毒は似ている?—抗がん剤のはなし
この記事を書いた人: 嶋田健一
ハーバード大学

現在,日本人が亡くなる原因の第一位は「がん」です。実は,がんというのは一つの病気ではなく,様々な病気をひとくくりにした呼び方です。世界中の研究者が,がんの治療ちりょう法を探し続けていますが,いまだにすべてのがんを治せる方法は見つかっていません。

そもそも,がんとは何でしょうか? わたしたちの体はとても小さな細胞さいぼうが何十兆個も集まってできていますが,細胞はいつもおたがいにコミュニケーションを取り合って,それぞれの役割を果たしています。ところが,ごくたまに細胞の中で,周りの細胞とコミュニケーションが取れないものがでてきます。これが「がん」です。がんになった細胞(「がん細胞」とよびます)は,体の中で自分勝手に増え続けます。また時間がたつにつれ,体の中の同じ場所にとどまらずに,血管の中の血液にのって体中に散らばっていく(「転移する」といいます)性質を持っています。そうして,転移したがん細胞が体中のあちこちで増えると,次第にほかの正常な細胞の働きを邪魔じゃまするようになります。するとやがて体は弱ってしまい,生きることができなくなるのです。

がんは,発見が早ければ,手術で切り取って治せます。しかし,発見がおそくなって,一度転移がはじまってしまうと,もうがんは手術では完全には治りません。少しでも体のどこかに転移したがんが残っていると,それがまた増えてしまうからです。こういう手術で治せない「がん」の治療に,使われるのが「抗がん剤」です。抗がん剤とは,体の隅々すみずみにとどいて,がん細胞だけをねらちしてやっつける薬のことです。こんな薬があるなら,もうがんは薬で治せるのかようにも聞こえますが,残念ながら,いまだに多くのがんは抗がん剤だけで完全にやっつけることはできません(もちろん薬で完全に治るがんもあります)。効く抗がん剤を見つけるのが難しい理由の一つは,がん細胞も,もともとは同じ自分の体の細胞なので,がん細胞をやっつける薬は,ほかの正常な細胞にも大きなダメージをあたえることが多いからです。つまり抗がん剤は「薬でもあるが毒にもなる」のです。

一方で,抗がん剤開発の歴史の中では,その逆,つまり「毒として知られていたものが薬にもなった」例もあります。例えば,100年ほど前の戦争で猛毒もうどくな化学兵器として使われていたマスタードガスという化学物質は,その後の研究で,白血病という血液のがんをやっつける効果があることがわかり,さらに改良されて,抗がん剤として使われるようになりました。また,サリドマイドという薬は,かつて睡眠すいみんやくや胃腸薬として使われていたのですが,妊婦にんぷが使うと赤ちゃんの発達障害を引き起こすことがわかって使用禁止になりました。ところが,最近この薬も多発性骨髄こつずいしゅという血液のがんをやっつけることがわかり,現在は抗がん剤として再び使用されるようになっています。

抗がん剤の開発は,日進月歩です。人類はたくさんの病気を薬で克服こくふくしてきましたが,やがてはがんも薬で完全に治せる日が来ることでしょう。化学物質の中には,使い方によって毒にも薬にもなるものが,多くあります。あらゆるがんを治してしまうような特効薬は,案外「毒」の中から見つかるのかもしれません。

著者略歴
2003年 東京大学教養学部生命・認知科学科卒業
2005年 東京大学総合文化研究科広域科学専攻修士課程修了
2015年 コロンビア大学生物学科博士課程修了
2015年11月よりハーバード大学医学部に博士研究員として在籍

化学だいすきクラブニュースレター第42号(2019年7月1日発行)より編集/転載

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