私が化学を選んだ理由(2005年 日本化学会筆頭副会長・井上晴夫)
私が科学の研究に没頭するようになって,35年以上も経っている。毎日,夢中で楽しく研究生活を送ってきた。どうして,今,大学で研究するような道を選ぶことになったのか,3段論法のような明確な理由はない。しかし,子供の頃からのいくつかの体験,強烈な印象が影響してきたことだけは確かである。
私は高校までは大阪で育った。大阪の夏は暑い。昼間は蝉の大合唱となる。小学校2年生のある夏休みの日,私は,蝉捕りをしていた。木を見上げた時,「やったー」となんとも言えない興奮が体を駆け巡った。憧れの蝉の王者,クマゼミがいたのだ。興奮で緊張しながらも,そろそろと網を伸ばして背後から,一気に網をかぶせ,剥ぎ取るようにセミを捕った。しかし網の中にいたのは,これまでに見たことのない不思議な虫だった。胴体はクマゼミそっくりだが色がやや薄い。透明の羽はない。本来あるべき羽の位置に緑色の極めて小さい数ミリの羽らしきものがあった。動きは極めて鈍い。小学校2年生の自分にも簡単に捕れたわけが理解できた。これは本物のクマゼミではない。何か別の虫に違いないと。非常に落胆したが,とりあえず箱にその虫を入れて保管しておき,また外での蝉捕りを続けていた。夕方帰宅して昼に捕った「虫」の箱を開けて心底,驚いた。なんと,「虫」はやはり,クマゼミだったのだ。透明の羽が,いつの間にか生え揃っていた。子供ながらすぐに謎が解けた。あの「虫」はクマゼミの幼虫でセミの抜け殻から抜け出た直後の状態にいたらしいと。わずか,数時間の間に小さな緑色をした数ミリの羽が,ぐんぐんと伸びて3〜4センチメートルにまで達したのだ。私は,自然の不思議の一端を垣間見たような興奮を覚えたことを記憶している。何かの際に,この時の興奮を思い出す。
中学1年生の理科の授業でM先生が真空についての説明をされた。有名なトリチェリーの実験も見せて頂いた。水銀浴中に倒立した封管ガラスには76センチメートルぐらいの水銀柱の先端に真空部分ができる。素朴な疑問を感じたので「なぜその真空部分のガラスは割れないのですか?」と質問した。M先生は返答に窮されたのか,「それは先生を困らせる質問だ!」と急に怒り出し怒鳴りつけた。質問して大変不愉快な思いをしたが,教科書的な説明よりも実際の自然現象はどうやらもっと深いらしいという漠然とした印象を持った。
高校2年生の物理の授業で振り子の実験をした。実験観察をしてみて教科書に書かれている単振動は実際には実現することが難しく,すぐに楕円運動に転ずることが多いことが大変気になったので,レポートを書く際にその点をいろいろと考察した。Y先生はその考察を大変高く評価してくださり,期末試験の成績に追加点を付けて100点満点のところを120点の評価を頂いた。素朴に嬉しかったが,同時に,考察することの楽しさを嗅ぐことができたと記憶している。
大学3年生の3月,4年生から属する研究室のゼミナールに早めに出席することを許可され,その当時,修士2年のT氏の修士論文研究についてのディスカッションを末席で聞いていた。恩師である飛田満彦助教授(当時)を中心に,銅触媒反応の反応機構について,廻る議論に大変感激した。「結論が出ない。教科書に出ていないことを議論している。教科書はあてにできない。」激しいカルチャーショックであった。それまでの講義での学習とは質的に異なるものがあることを直感し,自然現象を研究することの楽しさを強く感じた。私は現在,人工光合成など光化学の研究をしている。研究は実に楽しい。
化学だいすきクラブニュースレター第13号(2009年10月15日発行)より編集/転載