私が化学を選んだ理由(横浜国立大学名誉教授・伊藤卓)
消去法で化学を選ぶ
私が化学を自分の終生の仕事として選んだのは,大学2年生になるときでした。当時の東京工業大学は,入学時は全員一緒で,専門の学科に分かれるのは2年に上がるときでした。その時になぜ化学を選んだか…。これは恥ずかしながら,消去法だったように記憶しています。
理科おたくの子供時代
小学生の頃から,写真の現像や模型の電気機関車などに夢中になっていた私は,今流に言えば「理科おたく」だったのでしょう。私が中学生になったちょうどその年,1951年から3年間にわたって,岩波書店から当時としては画期的な,中学生向けの科学雑誌,「科学の学校」(写真1,写真2)が刊行されました。今でも家の書棚に大切にしまってあるこの36冊をむさぼり読んだことが,私の理科おたくに拍車をかけたようです。その後,電波少年にはまった私ですが,大学での物理や数学の授業の難しさに直面して電気工学科をあきらめ,私にとってのもうひとつの選択肢であった化学の道を選ぶことにしました。このように消去法ではありましたが,幸いにして私自身はその選択に決して後悔はしていません。
高分子化学のインパクト
当時の化学の世界は,ナイロンの普及から,金属を使った触媒(チーグラー・ナッタ触媒など)によるポリエチレンやポリプロピレンの出現などで,合成高分子を柱にした化学工業の飛躍的な発展のさなかにありました。3年生の時の授業で,イタリアの化学会社モンテカチニの訪問から帰られたばかりの岩倉義男先生から,欧米での生々しいお話を伺った際の強い印象から,卒業研究に岩倉研究室を選ぶことになり,そこで博士課程修了までの6年間,研究室では異質の立体規則性高分子に関わる課題で研究に没頭したのが,私の終生の研究生活の良い糧になったと思っています。その後,神からのお恵みか池田朔次・山本明夫両先生にお声がけを頂いて,有機金属化学の世界に埋没し満喫できたのも,学生時代に一人でもがいていた経験が役に立ったものと自分では確信しています。
「化学」は「分子レベルのものづくり」
科学技術のなかでの化学の位置づけは「分子レベルのものづくり」に尽きると私は考えています。学問である限りは真理の追究が目標であるのは間違いありませんが,その真理とは化学の世界では「ものができる」ことです。従って「できるかできないか」が勝負の分かれ目になります。これを勝ち取るためには,的確でかつ豊富な情報収集の前提のもと,段取りと実践,今で言うデザイン能力が強く求められるところです。その意味で化学はいつの時代でも,また誰にとっても,やりがいのある領域であることは間違いありません。
化学だいすきクラブニュースレター第12号(2009年7月10日発行)より編集/転載