化学だいすきクラブ

私が化学を選んだ理由(2001年ノーベル化学賞・野依良治)

この記事を書いた人: 野依良治 Ryoji Noyori
2002年度日本化学会会長 [専門]有機化学 独立行政法人理化学研究所 理事長 2001年ノーベル化学賞
2001年ノーベル化学賞・野依良治

感動と憧れが育んだ志

幼い頃の経験,特に感動や憧れといったものが,将来の志を抱くにあたり大きく働くように思えてなりません。

小学5年生の時,湯川秀樹先生が日本人初のノーベル賞を受賞されました。敗戦後の日本に大きな光明を与えた快挙でした。そして,これは私にとっても特別な出来事でした。実はこの十年前,私の両親は幼い私を祖父母に預け,仕事でヨーロッパに出かけました。1ヶ月の船旅の間,ソルベー会議に向かう湯川先生とご一緒する機会に恵まれ,ずいぶん懇意にしていただいたそうです。そんな話を何度も聞くうちに,お会いしたこともない私まで,そばにおいていただいているような誇らしい気持ちになり,湯川先生に憧れ,科学の世界に想いを寄せるようになりました。

それから一年半後の中学入学前の春休みのこと。化学技術者だった父親が東洋レーヨン(現・東レ)のナイロンの製品発表会に連れて行ってくれました。そこで演者の社長が「画期的な人工繊維ナイロンは,『石炭』と『水』と『空気』から生まれる。そして蜘蛛の糸よりも細く,鋼より強い」と,漁網のサンプルを示したのです。安くてどこにでもあった石炭と,水と空気というほぼ何もない状態から,役立つものを作り出せる。はじめての化学講演に「無から有を生む。化学とはすごい!」と,大変感動しました。当時は本当に物のない貧しい時代でしたから,将来は化学者になって企業で働き,よい製品を作って日本の復興に尽くそう,と強く思ったものです。中学時代には,理科の中でも化学が特に好きになっていきます。

高校卒業後は,日本初の合成繊維・ビニロン発明者である櫻田一郎先生に憧れて,京都大学工学部に入学しました。卒業研究で宍戸圭一先生と野崎一先生の門をたたき,有機化学の世界に足を踏み入れました。そして大学院修士課程を終える頃,野崎先生が新しい研究室をもつことになり,助手にとお誘いをいただきます。産業界に出て働きたいという想いがありましたが,説得されて大学に残りました。その後,名古屋大学理学部に移り,米国に留学するなど研究者として様々な経験を経てノーベル化学賞を受賞することができました。実験研究は一人ではできません。この栄誉は多くの若者たちの協力のお蔭です。

基礎科学のもつ意義

昨年は4人もの日本生まれの科学者がノーベル賞を受賞しました。日本人の知性と感性が世界に通じることが示され,誇らしい思いです。受賞対象が基礎科学であったのもまた,素晴らしいことです。経済偏重の日本社会で,とかく軽視されがちな基礎科学ですが,われわれの宇宙観や生命観は基礎科学を経て培われてきました。科学は人間を取り巻くものについて,客観的に教えてくれます。それによって,人間は自分がいかにささやかな存在であるかを知り,謙虚になり,真っ当な価値観が培われます。これが科学の最大の意義です。

今後も,科学への意欲・関心,何より憧れを抱く若者が増えることを願ってやみません。

写真1
写真1: ノーベル賞メダル

化学だいすきクラブニュースレター第11号(2009年4月20日発行)より編集/転載

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