化学だいすきクラブ

私が化学を選んだ理由(東京工業大学名誉教授・田中郁三)

この記事を書いた人: 田中郁三 Ikuzo TANAKA
[専門]物理化学、光化学 東京工業大学名誉教授 学位授与機構名誉教授
東京工業大学名誉教授・田中郁三氏

化学という学問

戦前の頃、私は旧制の中学・高校で今から思えばわりに恵まれた環境の下に教育を受けた。数学と理科(物理、化学、生物)についても、特徴のある先生方から熱心に教育にあたっていただいたことを、感謝の気持ちとともに思い出す。特にその当時からコロイド化学あるいは界面化学の分野で有名であった玉虫文一先生に化学一般を習ったのは大きいインパクトを我々に与えた。化学の一つの目標が我々の身近において起こる現象を解明する学問であったからである。言いかえれば、物が溶ける、燃える、錆びる、濡れる、洗う、光る、発色するなどの現象を明らかにすることが化学の大きい研究の対象であった。玉虫先生のご専門もそれに沿ったものであった。

先生がお話しになったいずれの現象も興味の持てるものであったが、特にホタルが熱を出さないで青から黄色のきれいな発光を出す話などは今でも思い出すほど強い印象を受けた。そして、化学が好きな友人数人と化学実験室で放課後、色の変わる化学実験や酸化還元反応などを楽しんだ。そのうちに時代は戦争の激しい状況に突入していった。授業でも実験は出来なくなり、勤労動員の合間をぬって教科書を急いで読み飛ばして習った。教える先生も大変だったと思われるが、化学が実験なしのただ覚えるものになって、こんなにつまらないものかと失望し始めていた。

みなさんに率直に話を聞く

そんな時、将来の行く先について、先生、先輩、友人たちに率直に話を聞く機会があったのは、私にとって幸いだった。その中で今でも鮮明に覚えている意見は次のようなものだった。(1)化学は実験から学ぶもので、世の中が経済的に少しでもよくなれば、実験が必ず復活する。(2)化学は無限に近い分子を対象にしていて、しかも少し異なった分子式でもずいぶん性質が違う。研究題材は多く、取り扱いも複雑で多岐にわたっている。(3)面白い現象、きれいな色の発現等、楽しむことも多い中、忘れてはいけないのは、それらの本質を理解するために、化学を学問として学び、そこから考えることである。

戦争さなかであったが、一生の仕事として化学を選んだ。戦後まもなく長倉三郎先生を中心とした電子状態の研究グループがつくられ、私もそのグループに属し、分子中の電子の働きを中心に研究を始めた。高校時代に目を輝かしたホタルの光も、分子中の電子の動きにより発光したものである。実験によって当初予想もしなかった結論が導き出されることは珍しくなく、そこからさらに新たなテーマも生まれてくる。ここに化学を学問として学ぶ大きな意義があるのではないだろうか。

イメージイラスト
イメージイラスト: 発光するホタル

化学だいすきクラブニュースレター第3号(2007年4月20日発行)より編集/転載

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