化学だいすきクラブ

活躍する化学 進化する抗菌薬,そして進化する細菌

進化する抗菌薬,そして進化する細菌
この記事を書いた人: 櫻井隆之
NTT東日本関東病院 感染症内科

みなさんこんにちは。私は感染かんせんしょうの診療を専門としている医師です。今日は私から,細菌感染症を治療する薬「抗生こうせい物質ぶっしつ抗菌こうきんやく」のお話をしようと思います。抗生物質とは自然由来の抗菌物質のことで,抗菌薬とは,合成して作られた抗菌物質のことです。

今から約90年前の1928年,アレキサンダー・フレミングが,ちょっとした偶然から,抗生物質「ペニシリン」を発見しました。彼は,細菌感染症の治療薬を探して色々な実験をしていましたが,そのせいで実験室はいつも雑然としていたと言われています。そんな中,実験用に作った培地(細菌を繁殖はんしょくさせる土台)と,そこに生やした黄色おうしょくブドウ球菌きゅうきんと呼ばれる菌が整理しきれなくて,培地ばいちにカビが生えてしまいました。普通ですとそれで実験は失敗になります。しかし,フレミングは,そのカビの周囲だけ,ブドウ球菌が消滅しょうめつしていることに気が付き,カビの中に細菌を破壊はかいする物質が存在していると気がついたのです。この時のアオカビの名称(ペニシリウム)にちなんで,この物質は「ペニシリン」と名付けられました。

このペニシリンですが,それをすぐに薬として使用できた訳ではありません。この物質を効率よく生成し,薬として使えるようにするためには多くの努力が必要でした。これを担当したのは2名の化学者,ハワード・フロリー,そしてエルンスト・ボリス・チェーンでした。抗生物質といっても,ある特定の化学式を持った化合物であり,彼らはそれを特定して,大量に生成し,ヒトの体に安全に使えるようにしました。これを実現するには大変な苦労があったと思われます。

しかしこれにより,それまでは治すことができなかった細菌感染症が治療ちりょうできるようになり,多くの患者さんが救われました。この「人類史上最大の功績」とも呼ばれる功績によりフレミングとフロリー,チェーンは揃ってノーベル医学生理学賞を受賞しています。

このノーベル賞受賞記念講演の場で,フレミングは,ペニシリン耐性たいせいきんの出現を予想して周囲を驚かせました。ペニシリンが効かない細菌が出現する,と予測したのです。そして,実際に彼の予想は的中し,ペニシリン耐性菌はすぐに出現しました。その「ペニシリン耐性菌」を治療するために,20世紀後半には様々な抗生物質が発見・開発されていきました。こうした抗生物質はすべて自然界に存在している物質を発見し,精製したものでしたが,新しい抗生物質が見つかると,すぐにその薬が効かない「耐性菌」が出現するようになりました。そこで,自然界にはない物質を合成して新しい治療薬「合成抗菌薬」を作るようになりました。これもまた,多くの化学者が多くの努力をした結果です。

合成抗菌薬の登場により,多くの耐性菌の治療が可能になりました。しかし,残念なことに,細菌類も人類の予想を超えて,次々と進化を遂げるようになりました。合成抗菌薬も効かない細菌が出現するようになったのです。このままでは,今から30年後には,耐性菌によって亡くなる患者さんの数が,がんによって亡くなる患者さんの数を超えるのではないか,と予測されているのです。このような事態を回避するべく,多くの研究者が今日も,新しい抗生物質や抗菌薬を求めて開発を続けています。この努力は今後何十年も続くことでしょう。もしかすると,今これを読んでくれているあなたがたの中から,「21世紀のフレミング」や「21世紀のフロリーとチェーン」が現れるかも知れませんね!

著者略歴
2001年 千葉大学医学部卒業
2018年 NTT東日本関東病院 感染対策推進室長
2019年 同 感染症内科部長

化学だいすきクラブニュースレター第44号(2020年4月1日発行)より編集/転載

先頭に戻る