化学だいすきクラブ

私が化学を選んだ理由(日本化学会会長・山本 尚)

この記事を書いた人: 山本 尚 Yamamoto Hisashi
中部大学分子性触媒研究センター 2018年度・2019年度日本化学会会長 専門:有機化学 触媒化学
日本化学会会長・山本 尚氏

私の化学に対する憧れは,小学校4年頃に遡ります。担任の先生が毎日宿題を出す代わりに,一年間,毎日,「自分で考えて,どんな主題でもいいから書いて持ってきなさい」と言われ,当時,理科が大好きだった私は,様々な本を読んで,毎日,提出し,ある日,偶然,その年の少年朝日年鑑を見つけ,その中で,化学に関する記述を見つけたのです。原子と分子の簡単な構造と中性子,陽子の説明や,天然物の構造が書いてあり,本当にわくわくして宿題のレポートを作り,翌日先生にとても褒められ,これが私の化学へのささやかな第一歩です。

自分でも実験したくなり,近くの薬局に行って,いろいろなものを買ったのです。薬局のおじさんに可愛がってもらい,試験管,アルコールランプ,リトマス試験紙,強酸や強アルカリなど,今ではとても考えられない品物を売ってくれたのです。自分でわからないなりに本で調べ,実験らしいものをこころみ,そのうち花火を自作したり,硫黄とアルミニウム粉末でロケット飛ばすことを覚え,今から考えると,とんでもない実験をしたものです(絶対にしないでください)。

本格的に(?)実験ができたのは,中学校に入るとすぐに化学研究部に入ってからです。これも,先生方が,本当に自由にさせてくれ,6年間好き放題で実験を楽しんだ日々です。例えば,クロロスルホン酸からのサッカリン合成で,甘い真っ白いサッカリンの結晶が合成できたときには,興奮したものです。化学しか興味がなく,阪大などから応援で来られていた先生から,最先端のお話を聞いたり,英語は嫌いでしたが,化学用語はすべて英語で覚えたのもこの頃です。

あまり遊びすぎて,大学入試は失敗しましたが,翌年は大学に入学し,のちにノーベル賞を取られた当時助手の野依先生に可愛がってもらったのも大切な思い出です。もっと最先端の研究がしたくて,アメリカに留学し,ウッドワード先生*,コーリー先生*などの教えを受け,シャープレス*やシュロック*等,その後大活躍するが,当時はとてもやんちゃな人達と知り合えたことは,その後の私の素晴らしい財産です。

*ノーベル化学賞受賞者

化学だいすきクラブニュースレター第34号(2016年10月20日発行)より編集/転載

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