私が化学を選んだ理由(東京工業大学・小坂田耕太郎)
大学に入学した時には,何を専門に勉強するのか自分自身まだよく考えていませんでした。早速始まった化学の講義を担当いただいたのは清水恒先生で,自ら書かれた「物質科学概論」fig3という分厚い教科書を指定されました。説明文や図がびっしりつまった本は他の教科書に比べて立派でしたが,価格も3500円という高いものでした。地下鉄の初乗り運賃が40円,国立大学1年の学費が今の7分の1,だった当時のことです。
「物質科学概論」は量子化学から物理化学,結晶化学,電気化学,有機化学等の広い領域を詳細,精確に解説した本でした。講義の内容は私にとってむつかしいものでしたが,教科書をゆっくり読んでいると,化学のそれぞれの分野がしっかりとした学問であることが私にもわかってきました。それまで習っていた化学の,多くの物質や事象にとまどっていた私にとっては,学問としての化学を勉強していきたいという気持ちを強くするものでした。
今,この本を読み直してみると,内容が豊富であるばかりでなく,他分野との関連や専門性の高い内容を,平易な文章で論理的に説明がされていること,著者の配慮が隅々まで行き届いていることに改めて驚かされます。意欲があれば,学生が一人で読んでも深い理解が得られるといったもので,実際講義は学生が予習したところや問題を指名されるという,スピードとスリルにあふれるものでした。
そういった教科書や講義との出会いがきっかけになり,工学部の合成化学科に進学しましたが,話は先に続きます。私は手先が器用ではなく,3年生の学生実験では,クラスで一人だけガラス細工のやり直しをさせられたり,粘度測定のために高分子を溶媒に溶かす時に,試料をサンプル管の外側にまでべたべたつけて,「それでは正確な測定ができないでしょう」と担当の先生にあきれられたり,といった具合でした。どうやってそこを切り抜けたか(克服したわけではありません),ここでは書きません。しかし,今は化学が大好きです。
自分たちの研究が化学という学問の端っこの方を新しくすることができたりすると,うれしく思い,最初の教科書のことを思いだします。
化学だいすきクラブニュースレター第31号(2015年10月20日発行)より編集/転載