私が化学を選んだ理由(富士フイルム株式会社・浅見正弘)
物心ついた頃から科学に憧れる理科少年でした。その理由の第一は,当時ヒーローだった鉄腕アトムも鉄人28号も,白衣を着た科学者が生み出したもので,科学者こそが真のヒーローに思えたからです。もう一つの理由は,正しいはずのことでも上級生や友達に否定され,言い負かされてしまい,悔しい思いをしていたということがあります。科学の世界なら,実験をして赤い色になれば赤,青い色になれば青,相手が誰でも言い争いではなく,実験結果で勝負できることを魅力に感じたからです。
中学,高校では,天体観測に夢中になりました。ゴーギャンの絵の題名「我々はどこから来たのか,我々は何者なのか,我々はどこへ行くのか」という言葉に戦慄を覚え,世界の根源である宇宙を研究できたら素晴らしいと思うようになりました。ところが,大学に進学してみると天文学は高度な物理学の世界で,数学のオ能がないと太刀打ちできないとわかり,3年に進学するときの専門は化学を選びました。天文学の次に化学を選んだ背景は,高校時代から美しく色が変化する化学反応の不思議さに惹かれていたことに加え,大学1年で学んだ先生の影響が決定的でした。教養の化学の担当教授は清水恒先生でしたが,まず講義の初日にクラス全員がぶっ飛びました。先生の第一声は「私は講義しません」でした。よく聞いてみると「私が書いたこの教科書を読んで予習してきてください,質問がなければ皆さん順番に各章の演習問題を黒板に解答していってください」とのこと。今でも持っているその教科書は「物質科学概論」という本で,先生の講義スタイルと,「化学は物質科学である」という指摘が強烈に印象に残りました。化学でも「世界を構成する物質の本質に迫る」ことができる,という思いで化学を選ぶことにしました。
理学部化学教室に進学し,結局は化学の世界でも量子力学や配位子場理論,回折結晶学などで数学を勉強することになりましたが,「物質の本質に迫る」は,私の研究の基本的なスタンスになり,その後も変わらずにいます。
大学院では佐佐木行美先生の無機合成研究室で,「ポリタングステン酸の合成と構造解析」を研究テーマに選びました。もともと美術が好きだったこともあり,X線構造解析で明らかになる多様な結晶構造に魅了されました。今なら3Dの図は当リ前ですが,当時は特別なプログラムと出力装置が必要で,自分で合成したポリ酸の構造が,大型計算機センターに1台しかなかったフラットベッド型X-Yプロッターで見る見る描き出される様子に我を忘れて見入っていたことを覚えています。
修士課程修了後は写真会社に就職し,感光材料の開発に打込みましたが,ハロゲン化銀の微結晶の設計で高感度を追求する研究は,まさに「物質の本質に迫る」ことが必要で,化学を選んだ頃に目指した仕事に就くことができたと思っています。写真の研究から,新たな機能性材料の研究に移った後も,これは私の研究者人生の基本となっています。
科学に関わる分野は広範囲に亘りますが,世界を構成する物質の多様さ,不思議さに興味を持たれた皆さん是非化学の世界の魅力に触れ,より深い探求の道に踏出してみてはいかがでしょうか。
化学だいすきクラブニュースレター第29号(2015年2月20日発行)より編集/転載