私が化学を選んだ理由(東京大学名誉教授・尾嶋正治)
子供の頃から理科が大好きで,特に昆虫採集では特異な(?)能力を発揮していました。理科系に進むのは決めていましたが,物理か化学か生物か,はたまた電気かは最後まで迷っていました。高校時代に担任のY先生が分光実験の写真乾板を大事そうに持って生徒たちに見せ,「これはスペクトルと言うものだ。大学での学生実験で測定したんだ。」と自慢そうにおっしゃっていたのが大変印象的でした。迷ったあげくに2年間判断を先延ばしできる東京大学理科I類に入学し,最後に工学部応用化学科を選んだ,という優柔不断さでした。
化学は新しいものを作って色の変化(化ける様子)を観測する学問で,一見分かりやすいのですがなぜ色が変化するかを考えるととても奥深い学問だな,と思っていました。3年生の講義を聞いていてI教授の有機化学に興味を覚えたのでI研究室に進もうと思ったらあみだくじにはずれて固体化学・電気化学の研究室に卒論で配属された,という主体性の無さでした。しかし,人生とは分からないもので,ここで出会った酸化物の物性,要するに物性化学は結局私のライフワークになっています。今思っても化学に進んで良かったとつくづく思います。物理工学科のH教授は「新しいものが作られたら,物理屋はよってたかって解明し尽くしてしまい,あとは何も残っていないが,化学は次から次へと新しいものが生まれてくるのでいいね。」と言われたそうですがまさにその通りだと思います。
NTT(当時日本電信電話公社)の研究所では次世代のLSI開発をめざして半導体の結晶成長や半導体表面の分析・解析の研究を行い,とにかく論文を書きまくりました。研究所の同期入社170名中化学出身は4人だけというminorityで,半導体プロセスはほとんど電気や物理出身の人がやっていたため,私の化学の知識がけっこう役に立って重宝がられ(?)ましたね。ここで学んだ化学を私は「デバイス化学」と勝手に名づけましたが,これがその後の研究人生を大きく決めました。また,Stanford大学に1年間留学する機会を与えてもらい,(LSIの研究室から日本人留学生は採らない,と断られたため)偶然にも放射光を使った表面研究,スペクトロスコピーに携わることになりました。
1995年に東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻に戻ってからは,半導体や酸化物の結晶成長と物性評価,すなわち表面物性化学と放射光科学の研究をやっていましたが,最近は本卦還りと言いますか,放射光を使って燃料電池やリチウムイオン電池の界面反応を調べる,という電気化学をやっています。まさに化学に救われている,と感じています。
若い時はとにかく迷い迷って苦しんで,という連続で,本当にこの道で良かったか,と真剣に悩みましたが,後から振り返るとけっこう好きなことを好きなだけやっているかな,と思っています。よく準備して力を養っていればチャンスは必ずやってくる,と思い込むことが大事だと痛感しています。
化学だいすきクラブニュースレター第26号(2014年2月20日発行)より編集/転載