化学だいすきクラブ

私が化学を選んだ理由(大阪大学・茶谷直人)

この記事を書いた人: 茶谷直人 Naoto Chatani
2014年度・2015年度日本化学会副会長 大阪大学大学院工学研究科教授 専門:有機合成化学,有機金属化学
大阪大学・茶谷直人氏

小学校の頃の私は,毎日公園で野球をする子供でした。公園の街灯が消える時間が帰宅時間でした。中学の時に化学部に入り,火薬作りでボヤとなり,自然休部となりました。ただ,この頃から化学には興味を持っていたように思います。

両親の方針で誕生日,クリスマスプレゼントとしておもちゃ,ゲーム類はほとんど買ってくれず,その代わりに高価な本を買ってくれました。吉川英治の「新三国志」全10巻や「新平家物語」全16巻,また「日本城郭全集」全15巻などの本を買ってもらい読んでいました。その影響か,読書,特に歴史小説を読むようになりました。中学生の時に,友人の両親が持っていた山岡壮八の「徳川家康」全38巻も借りて読みました。高校のころになっても歴史は相変わらず好きで,大学入試の模擬試験でも日本史で点数を稼いでいました。

また,化学にも興味を持っておりました。当時は公害が問題となっており,どこかの国立の研究所(今の産総研でしょうか?)が瀬戸内海の大きな模型に赤色のインクを垂らして,潮の満ち引きで,赤インクがどのように広がるかというテレビ番組やっていました。それを見て,漠然と化学の道に進みたいと思いました。公害の原因の一つは,有機水銀などの「有機金属」という言葉を覚えたのも,この頃です。

大学進学では,史学科に進むのか,化学の道に進むのか迷いましたが,文学部に進むと中学校か高校の先生になるのかと思って止めました。人に教えることには,全く興味がなかったのですが,今は,大学の先生になっています。大学時代は,ワンダーフォーゲル部で山登りばかりしていました。山登り,沢登りに夢中になり,ほとんど読書はしなくなりましたが,体力もつき,多くの友人もできました。研究室を選ぶときになって,高校の時に覚えた「有機金属化学」という言葉に惹かれて,大学の研究室も「有機金属化学」の研究室を選びました。歴史,山登りと,今の職業には全く関係がないものに興味を持ってきました。皆さんも,将来の進路に迷っていると思います。しかし,その時々に興味を持ったことに打ち込めば,道はおのずから開けると思います。明るい未来を!!

fig:1
fig1:触媒を使って化学結合を切り,新たに化学結合を作ることにより,社会に役に立つ物質の合成をめざしています。図は,炭素-水素結合の切断の模式図。

化学だいすきクラブニュースレター第30号(2015年6月19日発行)より編集/転載

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