私が化学を選んだ理由(東京大学・西原寛)
父は鹿児島大学農学部農芸化学科で士壌肥料学を教えていた。小学生の頃の住まいは,鹿児島市の中心部よりやや南に位置する農学部の小さな官舎。やんちゃな友達との遊び場は,キャンパス内の池や正門正面のフェニックスの植え込みで,泥だらけで昆虫や水中生物を採集したり,秘密基地を作ったりしていた(今だったら必ず警備員さんに摘み出されていたはず)。夕鮪の時間になると,父を迎えに研究室に行く。待つときは,大きな振とう機に乗ったり,(鉄腕アトムに登場する)お茶の水博士が作ったような複雑なガラスラインの蒸留水製造装置をじっと眺めたリした。小学3年生のときの父からのプレゼントが化学実験の道具一式。ビーカー,試験管,アルコールランプなどで,家中のモノを混ぜたり熱したりして変化する様子を不思議に思いながら,錬金術師を気取っていた。
父が大学の講義の話をしてくれたことがある。学生に「肥料」や「土壌」の違いを教える手段として,舐めてみることを実践させるとのこと。「え,お父さんも一緒に舐めるの?」と尋ねると,「やり方は教えるけど実際は舐めていない。中指で肥料をすくって,持ち上げる瞬間に指を入れ替えて人差し指を舐めるんだよ」と。誤魔化しじゃないのと思ったが,30年後の私の危機を救ってくれた。
慶応義塾大学の助教授のとき日印シンポジウムでインドに招待された。ツアーでガンジス川の畔にある聖地ベナレスを訪れた。狭い道路に多くの車や二輪車が犇めき合ってクラクションが鳴り響き,牛が闊歩し,人々が忙しく動き回る喧噪に戸惑っていると,ホストのベナレス大学の先生が,我々4名をガンジス川に舟で繰リ出してくれた。川幅500 mのガンジス川の真ん中は完全なる静寂。徐に,ベナレス大教授が聖なる川の話を切り出した。「最近,ガンジス川が聖なる川と呼ばれる所以がベナレス大で証明されました。バクテリアの数を分析したところ,1立方メートルあたり1個以下だということが判明しました。だから私はこの川の水を飲むことができます」と。そして両手で川の水をすくってゴクゴクと飲み干した。日本人同士は互いに顔を見合わせ,日本人の根性を見せるには誰か対抗するしかないと無言で同意。そして,一番年下だった私が,川の水を飲むか泳ぐか選択する羽目になった。色々怪しいものが浮いている川面を観ながら苦境に陥ったとき,ふと閃いたのが父のテクニック。「では舐めます」とゆっくり中指を川に突っ込み,美味しそうに人差し指を舐めた。日印対決に挑んだことに喝采を浴びた。
振リ返ると、門前の小僧で学者の道を志し,かといって父の専門とは異なる基礎化学を選んだのは,自然の成り行きだったと思う。若い人には自分の好きなことをとことん追及することを勧めたい。
化学だいすきクラブニュースレター第23号(2013年2月28日発行)より編集/転載