化学だいすきクラブ

暮らしの化学 きれいに磨いて傷つけない 私たちの健康を支える“歯ブラシ”の化学

「食べたら磨く」・・・そんな毎日の習慣に欠かせない道具“歯ブラシ”。「全身の健康は歯の健康から」と言われるように,歯は私たちにとって大切な器官です。それを磨く歯ブラシは,汚れを十分落としても,柔らかい口の中を傷つけてはいけません。このわがままにも思える要求に応えるために,歯ブラシにはどのような工夫がされているのでしょうか? その変遷からは材料の歴史の一端も見えてきます。

この記事を書いた人: 池田亜希子
サイテック・コミュニケーションズ

全身の健康は歯の健康から

8ハチ0マル2ニィ0マル運動」を知っているでしょうか。「80歳になっても自分の歯が20本残っているように,歯を大切にしましょう」という運動で,厚生労働省が推進しています。

人間の歯は,親知らずを含めると上下16本ずつで32本。親知らずがない人の場合は,上下14本ずつの28本です。このうちの20本を80歳まで残すのは,結構大変なことです。

歯を大切にするのは,歯が食べ物を細かく砕き消化を助ける重要な器官だからです。人間の寿命が大幅に伸びた理由の一つは,人間が歯を失って食べられなくなるようなことがなくなったためだと言われます。そんな大切な歯を掃除するのが,歯ブラシです。この道具を使って,すみずみまで丁寧に,でも歯茎はぐきを傷つけることがないように磨くことが重要です。

ふさ楊枝ようじから歯ブラシへ

現在の歯ブラシを見ると,毛が植えられたヘッドと手で持つハンドルをネックがつないでいます(写真 1)。このような形の歯ブラシが使われるようになった時期は,地域によってだいぶ違っていて,最も早いとされる中国では1000年頃につくられたお墓から発見されています。一方,ヨーロッパでは1600年代に入ってから,日本に至っては明治時代になり西洋の文化が入ってきた1800年代後半から徐々に使われるようになりました。

しかし,江戸時代の日本で歯が磨かれていなかったわけではありません。きれい好きの日本人は房楊枝を使っていました(図 1)。これは,柳などの木を箸のように切り,一方をたたき砕いて房にしたもので,房の部分で歯を磨き,反対側のとがった部分で歯と歯の間や舌の上を掃除していました。しかし,あまりうまく磨けなかったため,虫歯になる人が多く,幕末に日本を訪れた欧米人に「日本人は歯抜けが多い」「味噌っ歯で汚い」などと言われていたようです。

天然繊維から合成繊維へ

私たちが使っている歯ブラシを改めて見てみましょう(写真 1)。ヘッドの大きさやハンドルの太さなどは,磨きやすさや使いやすさを求めて変わり続けていますが,柄(ヘッド,ネック,ハンドル)と,毛(ブラシ)からできている点では,明治時代に西洋から入ってきたものと変わりません。ただ当時のものは今とは材料が違っていました。柄には獣の骨が,ブラシには馬や豚の毛など天然の繊維が使われていました。今でも,磨き心地が好きな愛用者がいるため,馬や豚の毛の歯ブラシは作られています。

では,私たちが一般的に使っている歯ブラシは何でできているのでしょうか。歯ブラシの柄と毛の材料については表示義務があるため,何できているか簡単にわかります。柄は見た目からもプラスチックの一種だとわかりますが,毛は何なのでしょうか。表示を見ると,例えばナイロンと書かれています。実はこれもプラスチックの一種で,繊維のように加工してブラシにしているのです(図 2)。ナイロン繊維のようにもともと自然界にはなくて,人によって作り出された繊維を「合成繊維」と言います。

ちなみにナイロン66は,アメリカの化学会社・デュポン社の研究者だったウォーレス・カロザースが1935年に発明した,世界で初めての完全な合成繊維として知られています(図 3)。

ナイロンはすり減りにくく化学薬品に強いことから,歯ブラシの毛の材料として採用されています。また,ナイロンと一口に言っても様々な種類があり性質が異なります。どのナイロンを使うかや,毛の太さや毛先の形などを変えることで,柔らかかったり硬かったり,人それぞれの好みや習慣に合ったいろいろな歯ブラシの毛が作られています。

写真 1
写真 1: 現在の歯ブラシの基本的な形。ヘッド,ネック,ハンドルからできている。
図 1
図 1: 江戸時代に使われていた房楊枝(復元,提供:ライオン株式会社)と房楊枝を使う女性(「当世三十弐相」歌川国貞,1820年頃制作,提供:日本歯科大学新潟生命歯学部「医の博物館」)。
図 2
図 2: ナイロンを繊維にする方法。原料を熱で融かし,ノズルから押し出して繊維状にした後,冷やして固める。
図 3
図 3: ナイロン66の合成。2つの分子(丸と四角)が連なってできる。もしナノメートルサイズ(10-9 m)が見える目を持っていたら,その様子を見ることができるだろう。

参考資料:『身体をめぐる商品史』(国立歴史民俗博物館),『歯ブラシ事典』(松田裕子編集,学建書院),東レモノフィラメントhttp://www.toray-mono.com/product/pro_a014.html#001

化学だいすきクラブニュースレター第37号(2017年12月1日発行)より編集/転載

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